小笠原船の旅

小出 良明

 この1週間程前から、どういうわけか心がはずんでいる。フェリー会社に入社して4年、入社するまでは、自分自身が船乗りとしての体験をするなどとは思ってもみなかった。そして入社してからの1年間を船乗りとして(スチュワード)生活したことと、その間に1人の船キチの友人と出会ったことが、海と船に私がとりつかれていった動機である。
 陸上勤務になってからは、自分の勤めている会社のフェリーにさえめったに乗れない。現在の日本の休日制度の下では、満足に船旅生活を味わうに足りるだけの休日などは、メッタに取れるものではない。この1年間に船に乗る機会にめぐり会えたのは、5月にステイツラインのアイダホで釜山へ行ったのと(4泊5日)、8月に名古屋から神戸の間をにっぽん丸(今はもうない)に乗船しただけである。そして4ケ月ぶりに巡ってきたのが今回の年末年始の小笠原行きである。と言ってもこれは1船客としての船旅ではなく、自社のフェリー「だいせつ」を使って実施することになった小笠原船の旅に、前に船に乗って仕事をしていたから、船内で雑用一般をさせるのに何かと便利だということで、乗船するのであった。このことは、一般客として乗船すること以上に、何か私の心をはずませるものがあり、昔のスチュワードの制服を引っぱり出して、少し出てきた腹を気にしつつ着て見たりしていたのであった。

 12月31日、名古屋港出航。
 ひさしぶりに聞くドラの音、何度聞いてもいいものだ。年末年始の3泊4日という日程と、現在では足の便が悪くなかなか個人では行く機会のない小笠原というわけか、満船の状態である。純客船のサービスには程遠いかも知れないが、今回の乗船客の1人にでも多く、海の良さ、船旅の良さを少しでも多く感し取ってもらいたいと思う。そして1人でも多くの船旅ファンを作り出す一役を担えるようなクルーズにしたいと考えると、現在のフェリーでのクルーズには限界はあるけれども、今回の小笠原の場合はそれなりに努力をしていると思う。
 伊良湖水道を通過する。右舷に神島。左舷に伊良湖岬を望み、何度通ってもこれから太平洋へ乗り出すのだという実感が体で感じられる。ここからは小笠原諸島へ向けて約1000kmを一直線に南下するわけである。フェリーの長所の一つは足の速いことで、現在普通では2泊かかる日程の所を24ノットのスピードで約25時間で走破する。明日の朝にはもう小笠原諸島を見ることが出来るだろう。現在小笠原諸島へ定期便を出している小笠原海運の「父島丸」や、小笠原クルーズをよく行う大島運輸の「さくら」などでは船中で2泊しなければならないが、本船だと東京からでも名古屋からでも1泊で着けるので大変助かると思う。もちろん居住性やサービスが申し分のない客船ならば、そんな心配はしなくてもすむのだが。
 船内での仕事が始まった。元スチュワードとしては、あまりでしゃばって現役の職域をおかしてもいけないので、もっぱらサラ洗いを引き受けることにした。熱気のこもる洗い場で800名近い人数の食器洗いを5時間近くも続けているとさすがにぐったりとする。でもたまにする仕事なので、楽しさの方が先に立ってしまう。船内の食事は普段の定期便の時よりはメニューを豊富にしてあるけれど値段の方はあまり安くはないので乗船客の皆さんには少々気の毒の様な気もする。さっそく今回一緒に乗船してきてくれている友人の大川さん達のグループへ食器洗いの間をぬって、お酒やビールをサービスして文句を言われないようにゴマをすっておいた。


 1月1日元旦
 初日の出を見る予定でいたけれども眼がさめた時はもうだいぶ日が昇ってしまっていた。友人の渡辺さんだけはさすがカメラを持って日の出の写真を取っていた。デッキに出て気が付いたのは、シャツ1枚の姿でいても寒くないことだった。船の前方にかすかに島影が見える。伊良湖を出てから全然陸地を見ない航海だったので何だかホットするような、なつかしいような気分だ。
 11時頃、船は父島の二見港へ入港した。二見湾の中央に去年の30日に東京を出航した「いしかり」がすでに入港していて湾の中央に錨を下している。青々と透き通る海と、緑の島影をバックにして見る白い船体の僚船の姿は、まんざら拾てたものではない。デッキに総出になった乗船客も、大漁旗を立てて出向かえる漁船の集団や昨日までの冬の本土とはうって変った風景に、皆少々興奮気味であるようだ。
 父島にはまだ1万トンクラスの船が接岸出来る岸壁がなく、そのため沖に錨を下して岸との間は小さな船で運ぶことになる。準備の様子を見ていると、まずチョット大きめの漁船を本船にしっかり固定させ、タラップで下船者を一旦その船に下してそれからもう少し小さい漁船に乗りかえて岸へ行く方法を取っているようである。一見非常に面倒みたいだけど、これも今回の船旅の1つみたいで、乗船客の表情を見ていてもむしろそれを楽しんでいる人の方が多いようだ。
 入港第一日目は、我々乗組員は船内の清掃やシーツの交換で上陸する時間はなかった。本船に横づけになっている漁船の上から釣糸をたれる。約10m以上も下しているのにまだ針につけたエサが見える。しかしそのせいか魚は全然かからなかった。けれども夜になると釣り竿を持った乗船客が何人も船の上から釣り糸をたれ、けっこう大きな魚を釣り上げていた。

 二日目、いよいよ上陸。前の日に上陸して下調べが出来ているのか、乗船客はそれぞれハイキングや魚釣りと、行く先が決まっているみたいで、徒歩やマイクロバスに乗り込んで出発していく。
 しばらく二見港の町を歩いて見る。ハイビスカスやパパイヤの亜熱帯性の植物に囲まれた南国ムードの漂う静かな町並みで、10分も歩けばもう町から出てしまう。山の中腹にある神社や白い教会を見て回った後、ジープに乗って島を1周する。兄島・弟島・そして遠く50kmの南方に浮ぶ母島、眼下には二見湾の全景を箱庭のように見渡せる「三日月山」、二見湾の奥にある境浦には赤錆びた船体を海面にさらし、戦争の傷跡をとどめる沈船があり、甲板上に生えた木が時の流れを示している。小港海岸では数十人の人達が海水浴を楽しんでいた。今日は少し雲が出ているので少し膚寒いが、正月に海水浴が出来るのは日本ではここぐらいだろう。ジープは島で一番高い「中央山」「夜明山」に登って行く。途中ジャングルの中に旧日本軍の施設の残骸が残っている。そして今もそのまま崩れかけた姿をさらしている中央通信施設の跡を見ていると、今は静かなこの島にもいろいろな歴史の流れがあったのだという実感が体に伝わってくる。
 島を1周して見ると、出発前調べたパンフレットにうたってあった「日本最後の海の楽園」という言葉が、そのままぴったりとあてはまると思った。亜熱帯性の植物におおわれた山々、青い海と島影。そのすばらしい自然の中に今も残る戦争の哀しさ。
 この島が今静かに守っているこの自然を我々が無神経にふみ荒らすことのないように、いつまでもこのままの小笠原であってほしいと思うのだけれど、それは現実にこの島々で生活している人々にとっては、唯の観光客の感傷にすぎないのかもしれない。現に飛行場の建設を望む声も出ているようだった。今の内にもう1度おとずれて、体全体でゆっくりと感じ取っておきたい島々である。

 1月2日17時。少し先に東京へ向って帰路についた「いしかり」を見送って、「だいせつ」も夕暮近い二見港を出航し一路名古屋に向って帰路につく。名古屋港到着は翌日の19時の予定である。
 船内では往路と同しく、夜はビンゴゲーム・映画会、昼はもちつき大会・宝さがし・船内オリエンテーリング・七宝焼教室と、沢山の行事が行なわれ、皆楽しく参加出来、3泊4日の小笠原クルーズは無事に終ることが出来た。


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