S.S.プレジデントフィルモア航海記

大川 敏

 神戸のポートアイランドの岸壁に我々一行(一行と言っても私を含めて二人)が到着したのは、夕陽もすっかり沈んであたりは漆黒の闇の頃であった。その闇の中に無数のコンテナーを満載した黒い船体が無造作に浮かんでいる。プレジデントフィルモアはまだ出港するまでに3時間以上も余しているのに、コンテナーの積上げ作業はすべて終え釜山向けての出港を待ちわびている。岸壁は物音一つしない静寂そのものである。時折ギャングウェーから、船内を警備しているウォッチマンの話し声が聞こえてくるぐらいである。岸壁と船とを結ぶギャングウェーは思ったより長い。高い所が苦手なので、一歩一歩足元に気をつけてギャングウェーを登る。途中でギャングウェーから下を振り返ると、岸壁に置いてあるコンテナーやジープがまるで小さく見える。ギャングウェーの入口ではウォンチマンに「どこに行かれる?」と尋ねられる。「釜山まで・・・」と答える。ウォッチマンも「ああそうですか」と気のない返事が返ってくる。なるほど彼らがそう思うのも無理からぬことかもしれない。大阪空港から釜山空港までジェット機で行げば40分足らず。それを神戸から二日も費して行くのだから・・・物好きもここまで徹底すればたいしたものだと自分ながらに感心する。
 さて、さっそくビューローに出向き乗船の手続きを済ます。フィルモアのビューローは昔日のプレジデントクリーブランドや、プレジデントウィルソン等のA.P.L.商船時代の伝統で、貨物船のビューローとしては、整然としたかなりりっぱなオフィースである。ちょうど昨年の夏に乗船したステーツラインの「アイダホ」のビューローとは、雲でいの差である。やはり船会社の格が違うのであろうか。パーサーも中々の紳士で、これ又アイダホのパーサー(飲んべーでホモ)とは大違い。ビューローのかたわらでキャビンスチュワードが我々の乗船手続きの終わるのを待ちかまえて、我々の手続きが終ると我々に向かって「荷物はこれだけが」と念を押す様に問いかける。このスチュワードは我々がサンフランシスコにでも行くと思ったのか・・・。我々もすかさず「TWO BAGS ONLY」と答える。彼も納得したのか荷物を両手にかかえ足早にキャビンまで運んで行く。我々も彼の後に続く。キャビンに向かう途中、パッセンジャーと思われる人達に出会う。どちらともなしに「グッドイブニング」と声をかけ合う。船ならではである。飛行機の旅ではこんな気楽にあいさつができようか。恐らく終着までとなりの人と言葉を交さないこともありうるだろう。とにかく船の生活はあいさつから始まると言っても過言ではない。
 さてビューローを出て数分後にキャビンに到着する。キャビンにはベージュ色の分厚いじゅうたんが敷かれ、窓には中々センスのいいカーテンが掛かっている。もちろんバス、トイレも備わっている。藤で編んだ洋服ダンスのセンスも心憎い。だがタンスの取手に静電気?が起きて手で触るとピリットきた。これには下船するまで悩された。壁にはミシシッピー川を航行している両輪船の絵が掛り更にキャビンをゴージャスなふんい気にさせている。それに、付け加えておかなければならないが、我々のキャビンはスイートルームなので前記の他に6畳程度の続き部屋(応接間として利用する)が別に付いている。べッドはツインである。こんなすばらしいキャビンで一日の料金が45ドル、釜山まで2日間かかるので90ドル(約27、000円)である。これでは国内のフェリーなどばかばかしくて乗る気も起らない。昨年の夏までは、一日35ドルで乗船できたと思うと直更である。
 なおここでフィルモアの概要の紹介をしておこう。プレジデント・フィルモアの総トン数は、27,000トン、出力は24,000馬力のスチームエンジンである。航行速度は26ノットで1967年に竣工している。(柳原良平氏、船の雑誌を参照)パッセンジャーを乗船させるキャビンは左舷側に6名、右舷側に6名、併せて12名だけ乗せられる設備を持っている。その中の二部屋がスイートキャビン(両舷の船首側)である。貨物船の場合はとにかく「何とか法」で12名までのパッセンジャーしか認めていない。

 さて、今航海のパッセンジャーはと申しますと、航海が冬場であった為かパッセンジャーは我々を含めて8名、その内御夫妻で乗られている方が2組、後2人は60才位の未亡人(?)で、すべてアメリカ人である。キャビンで荷物を整理し、一段落して時計を見るとPM9時半、出港まで後30分しかない。急いでひと風呂浴びて、デッキにかけ登る。岸壁とフィルモアをつないでいる太い口ープも取りはずされ、出港を目の前にしている。もちろん先ほどまで船内をウォッチしていた人達の姿は見えない。ついlこギャングウェーもリフトアップし、フィルモアは出港準備完了。「さようなら神戸」と小声でつぶやく。
 しかしいつ見ても船の入出港は私の心をロマンチックにさせる。だがここには横浜の大さん橋のにぎわいも、神戸のポートターミナル
のにぎわいもない。ただあるのは静寂のみ。やがてフィルモアはPM10時定刻通りポートアイランドを離岸、一路釜山に向けて出港開始。デッキからは九州方面に向かう長距離フェリーの灯が点々と海辺に浮かんで見える。フィルモアは湾内を出るまでは超スロースピードで進行。湾内には大小とりどりの船、船でいっぱい。OSKもあればNYKも見える。最近でこそ「港神戸」も客船の入出港はめっきり減ったものの、その光景を見ると「ミナト神戸」はまだまだ健在である。
 ではここで簡単に釜山までの航路を紹介すると、神戸港から瀬戸内を航海して明日(2月19日)の夕方、関門海峡に到着。その後壱岐、対島を東に見つつ朝鮮海峡を一路北上し、2月20日の朝に釜山港に接岸予定。(但し後述する様に大幅に予定がくるう)神戸港からは1日半の船旅である。デッキを吹き抜ける風も冷たいので、あわててキャビンに引き返す。二人ともキャビンのベッドにどっと倒れる。横になると痛労感がどっと来る。相棒の小出氏(名古屋の太平洋沿海フェリー(株)の勤務)も、さすがに疲れたのかいつもの元気がない。二人で明朝の日の出を見ようと約束し、ベッドにもぐり込む。「ではおやすみ、小出さん。」二人とも朝までぐっすり寝込む。翌朝、キャビンボーイ氏の「どら」の音と共に飛び起きる。枕元の時計(私は旅に出ると必ずトラベルウオッチを携帯)はもうとっくにAM7時を回っている。日の出を見るどころではない。だがどうしたことか、相棒の小出氏もまだおやすみ中。「夢の中で日の出でも見ていることであろう」と思いそのままにして置く。洗顔もほどほどにしてねぼけまなこで食堂に降りていく。小出氏も夢で日の出を見終わったのか、やはり眠そうな顔つきで食堂に到着する。
 さて今朝の我々のテーブルはキャプテンと同席で、7人掛のテーブルである。もちろんキャプテンがテーブルの中央に座る。だがキャプテンの姿は見られない。すでにテーブルでは二組の老夫婦が仲良く歓談している。我々は1日目にて遅刻。眠たそうな顔で「クッドモーニング」とあいさつする。彼らも「おはよう」あいさつを交す。いささか眠いが、気分は壮快。海も今朝はべた波で、いっこうに揺れる気配無し。朝食にはグレープジュース、スクランブルエッグ、そしてジャムトーストと注文。船内で取る食事は何度食べてもおいしい。私も小出氏も二人とも、オーダーしたものを残らずたいらげる。食事中に我々と同席のカルペパー夫妻は、以前に日本を訪ずれたこともあるらしくかなり日本通である。カルペパー氏はテネシー州でカーバイドの会社を経営している社長さんとのことで、70才くらいである。彼の奥さんも60才はとっくに回っているようだ。最初私が彼の名を尋ねた時、彼は早口でしゃべるのでいっこうに名前がわからなかった。そこで「ワンスモアプリーズ」の連発である。彼もついに食卓の「こしょう」を取り上げて、「CUL」+「こしょう」と覚えなさいと言う。なるほどこしょうは英語で「ペパー」「CUL」と続けて読むとCULPEPERとなる。この説明でやっと彼の名前を覚える。ところでフィルモアのパッセンジャーの平均年令はだいたい65才から70才ぐらいか。ともかく20才代は我々二人だけ、後は60才以上ばかりである。これだから彼らが我々を子供扱いするのもわかる気がする。ちょうど彼らの孫くらいの年令であろう。
 朝食後はデッキに出て散歩を楽しむ。2月の半ばのせいか、やはりデッキを吹き抜ける風は冷たくて肌寒い。10分と外に出ていられないほどである。すぐさまラウンジに逃げ帰る。ラウンジではカルペパー夫人が熱心に編み物をしている。外人はとかく手先は無器用と言われるが、彼女のテーブルクロスの出来ばえは中々のものである。夫妻はアメリカからラウンドトリップしているので、この航海が終わる頃には素晴しい作品ができることであろう。一方小出氏は船内を精力的に歩き回り、船内の写真撮映に奔走中。私はカルペパー氏について英会話のレッスンの特訓中。レッスンはたっぷり1時間、いくらか英会話に自信を持つ。これは私の一人よがりか・・・。船内ては時間がたつのが以外と早い。もう昼食の「どら」が聞こえて来る。
 午後になっても相変らず波穏やか。プレジデントフィルモアは順風満帆、海をすべる様に関門海峡に向けて航海を続ける。夕方には待望の関門海峡にさしかかる。夕陽にけむる関門橋と、散在する島々の家々と、瀬戸内を航海する船とが三位一体となって、筆舌に尽しがたいすぱらしい光景である。柳原良平氏が「船旅は瀬戸内に始まり、瀬戸内に終わる」と言っているが、まさに同感である。フィルモアは警笛を鳴らしながら、ゆっくりゆっくり関門橋を時間をかけて通過する。もうこの海峡を通過すると釜山までは後一息である。12日朝には釜山に到着してしまう。今回は夜間航海の為、壱岐、対馬が見られないのが唯一残念である。三年前乗船した関釜フェリーも出港が夕方であった為、壱岐、対馬が見られなかった。次の機会には必ず見ようと思う。夕食後は小出氏の主催で「オリ紙教室」を開催、カルペパー夫人も他の御夫人連も彼の指導(いささか言葉には疑問あり)で賢明に「鶴」を折っている。パーサーも飛び入りで教室に参加、まずまず本日の「オリ紙教室」も大成功、私は小出さんのおてなみ拝見といく。ラウンジからながめる海はもうまっ暗で、時々漁船の灯が見えるくらい。今頃は何の漁であろうか。キャビンにもどり小出さんと「明日はいよいよ釜山なのか」と話していると何となくさみしさがこみあげてくる。せっかくパッセンジャーとも仲よくなったし、これからだという時に…。でも旅には短い長いはあれども必らず終りがともなうもので今日今晩をとにかく有意義に過ごそう、小出さんも私の問いにうなずいた。
 そう思った瞬間突然肌寒さを脳裏に感じる。少し熱もあるようだ、そう言えばフィルモアーに乗船する時に少し風邪も本格化、さっそくパーサーのところに風邪薬をもらいに出かける。パーサーはドクターも兼務しているので、私の少ない英語のボキャブラリーで症状をうったえる。パーサーも心得たものか、私に数錠の薬をくれる。いやはやこんなところでパーサーの御世話になろうとは夢にも思わなかったことである。パーサーにお礼を言ってキャビンにもどる、まだ10時であるが風邪薬を飲んで早々ベッドにもぐりこむ。今航海は早寝早寝の連続である。またしてもI love bed。本日相棒の小出氏はラウンジで何やらパッセンジャーと御歓談の様子、小出さん今晩もおさきにおやすみなさい。


 翌朝又してもキャビンボーイのあのいまわしき音で目がさめる、昨日に続き熟睡。風邪の方はパーサーからもらった薬が効いたのかい
ささか昨晩よりよい。でも本調子にはまだまだである。キャビンからデッキに出て見るとフィルモアーは釜山沖で停泊している。あたりの光景はステーツラインのアイダホで経験しているので港の風景にも何か親近感みたいなものを感じる。港内のいたるところには朝鮮海峡で韓国の警備艇にだ補されたと思わしき日本船も見られる。でもどの船も古い、古古、には感心させられる。時々タグボートがフィルモアー前を通り過ぎて行く。船腹には大きなハングル文字で船名が記されているが全くどう読んだらいいかわからない。港内散策もほどほどにして食堂に下りて行く。すでに我々のテーブルにはカルペバー夫妻の顔も見られる。夫妻とも朝から中々の食欲である。私は彼らの胃袋とは裏腹に風邪気味で食欲まったく無し、ボイルドエッグとトースト一枚を食べる。今朝もキャプテンが見られないのが残念、多分入港準備で忙しいことと思う。朝食後パーサーと季氏(韓国のエバレット勤務)がキャビンに現われる。季氏はなかなか日本語が達者で我々に今日のフィルモアーのスケジュールを説明してくれる。彼の説明によるとフィルモアーはPM1時半に釜山港に接岸予定との事。だが接岸まで3時間近くもある。やむなく、ライティングルームで大学時代の友達や船キチ仲間に手紙を書く。他のパッセンジャーも編物をしたり読書をしたり、思い思いの方法で時を過している。小出氏もブリッジを見学しているみたいで、姿が見えない。昼食は朝食に比べてやや食欲あり。でも本調子にはまだまだである。
 PM12時半、フィルモアーは釜山港に接岸開始。ブリッジから岸壁をながめると自動小銃を構えた兵隊でいっぱい。いかにも今の韓国を象徴していて興味深い。兵隊は20才そこそこの青年達であり、今の韓国では現在徴兵制がしかれているのでこんな若い兵士を見るのもおかしからぬことであろう。でも私は「戦争反対」「徴兵制反対」と叫びたい。フィルモアは、PM1時半定刻通り釜山港に接岸。接岸後入国手続きのためビューローに赴く。ビューローでは、パーサーと季さんが何やら雑談をしている。季さんにいつ下船できるかをたずねる。彼も達者な日本語で「きょうは、イミグレもカスタムも休みなので下船は明日しかできない」と答える。我々はそれを聞いて一瞬あ然としたが、気を持ち直して季さんにもう一度いつ下船できるのかとたずねる。彼は「明日の9時半ならば」と返答する。何たることか、今日一日この船でかんずめになるのか。だが続いて季さんは「パスポートさえ持参すれば外出はOK」と付け加えた。これを聞いて我々は、とりあえずは一安心。船内のラウンジではもう宝石屋が店開き。御夫人連中が熱心に御観覧。世の東西を問わず宝石は女の気持ちをそそるものがある。私にはそういう気持が全く理解できない。一方殿方連中は、デッキに出てあたりかまわず引っきりなしに、写真機のシャッターを押している。
 さて我々は本日の下船がお預け(但し荷物だけ)になったため、本日のスケジュールを若千変更する。取り合えずフィルモアーを下船して釜山のJALのオフィスに航空券をキャンセルに出かける。というのは釜山発8時のフライトでは先ほど季さんの話からするとこの便に乗るのは不可能。従ってKALの釜山発14時の大阪行きに切りかえなければならない。釜山の日航のオフィスはちょうど釜山郵便局の近くの何とかビルの一階である。だが残念なことに本日は閉店、やむなくKALのオフィスに出かける。KALのオフィスは航空券を予約する客でごったがえしている。順番を待ってカウンター嬢に「明日の大阪行きの便は席が取れるか」ともちろん日本語でたずねる。日本語で「満席」と冷たく足らわれる。では「ウェイティングはできますか」と再度たずねると「それもだめです」と又しても節ない返事、ここで昨夏のアイダホ事件が頭をかすめる。読者は多分御存知ないと思うが、この事件というのは、アイダホ航海日数(神戸〜釜山)が1日延長になったため釜山到着が1日遅れ航空券の予約もパーになり釜山空港で半日ねばったが結局大阪行きの航空券が手に入らず釜山からソウルまで国内線で飛ぴソウルから大阪までのキップをかろうじて確保するといった具合である。今回もこんなケースにならないように神に祈るのみ、とりあえず明朝もう1度KALのオフィスに来てキャンセル待ちをするしかない。だが1度あることは2度あるとも言う。運を天にまかすのみである。こうしてみると今回の旅も先ずフィルモアーで下船ができずそれに帰りの飛行機の切符はとれないし実にトラブルばかりである。小出氏もあきれ顔で「しょうがないや」とつぷやく。こうなら2人とも覚悟を決めて釜山の町を心なく散歩(後段この意味がわかろう)しよう。
 先先小出氏のすすめで竜頭山公園の展望台に登る。展望台からは釜山市街が一望される。はげ山と家々ばかりの市街地である。港の近くには必らずと言っていいほどにこうしたすばらしい展望台がある。神戸のポートタワー、横浜のマリンタワー等々がそうである。そうしてちょうど今日2月20日が韓国の旧正月にあたりこの公園も人、人、人でいっぱい。竜頭山公園の後は松島まで足を延ばし「松島名物」あなごの刺身を食べに出かける。夏場は海水浴客でにぎわう松島海岸も今はシーズンオフの為か閑散としている。我々は「龍宮」と言う海岸の中ほどにある料亭兼ホテルといった店に飛びこむ、もちろんあなごの刺身とあわびとその他海のものを注文する。でもどれを食べても新鮮で実にうまい。あなごの刺身などなかなかおつな味で韓国ならではである。店のおかみも日本に住んでいたのかなかなか日本語もうまい。2人とも腹いっぱい食べ店を出ると海岸のいたるところにあなごのいけすが所狭しと置いてある。又機会があれば松島に来よう。そしてあなごを食べよう。海岸でタクシーを拾いフィルモアーまで帰る。さんばしまでタクシーで1時間弱かかる。

 船内にもどるとカルペバー夫妻も他のパッセンジャーも帰船している。食事もしんがりなら帰船するのもしんがり。フイルモアーのパッセンジャーはあまり釜山の町には興味がない御様子。只只船に乗ってぼんやり時間を過こすのを生きがいにしている人達ばかりである。晩飯にはゴムぞうりほどのステーキが出される。数時間前に松島で刺身を食べてきたばがりなのでこのステーキは胃袋の中に思う様に入っていってくれない。ステーキの大きさでは日本のどのレストランでも勝ちそうもない。但し味の方はたいしていただけない。だがこのステーキを70才近い彼らが平気で平らげてしまう食欲には只々敬服するのみ。アメリカの活力を彼らに見る思いである。小出氏もさすが全部は食べきれずにギブアップ。こうしてフィルモアーでの最後の食事を楽しむ。パッセンジャーとの会話もはずみ、少ないボキャブラリーを使っていっしょうけんめい話しかける。だがいつの場合でも英会話不足を痛感する。カルペパー氏との英会話のレッスンの成果なしか晩食後は悪友(今回初めて使う)の小出氏を誘って釜山の夜の町に出かける。キャビンボーイ氏が意味ありげにギャングウェーで我々を見送る。
 マドロスいわく「ミナト、ミナトに女あり」釜山に殿方の興味を引かせる場所は多い。我々が船を出てどこに行ったかは多分良識ある読者には理解できよう。

 翌朝(昨日はフィルモアーには帰船しなかった)KALのオフィスに再度航空券の予約に出かける。幸にも昨日キャンセル待ちが功を泰したのか大阪までの航空券を買い求めることができた。昨日とは様子がちがうし、多分出し惜みでもしているのか、どうもKALの予約だけは信用できない。昨夏のアイダホ事件でもそうだが、いささかKALのやり方に腹立ちさを感じる。KALの事務所で航空券を手に入れて急いでフィルモアーにもどる。昨日の季さんの説明だと入国手続きは確か9時半とのことでまだそれまでに10分ぐらい余裕がある。だがひょっとすると税関が船にいると思いギャングウェーをかけ登りビューローに直行する。季さんに「税関はまだですか」とたずねるともう少ししたら来るとの事でそれまでの時間を荷物の整理で費やす。数分後荷物を持って再びビューローにおもむく。季さんはいるが税関の姿は見えない。とっくに9時半は過ぎている。結局これも季さんの感ちがいで我々が税関に出かけるはめとなる。パーサーには最後のお礼をいって季さんとともに下船する。フィルモアーは2月21日の10時半神戸向けて出港予定だ。我々と季さんが下船するとギャングウェーの落下防止のネットもはずされギャングウェーもリフトアップを開始している。数分後にはギャングウェーもすっかりリフトアップされ岸壁と船をつなぐものは何もない。「さようならフィルモアー」又神戸であいましょう。デッキからはキャビンボーイ氏もカルペパー夫妻も我々に向って手を振っている。我々も思い切り彼らに向って「また会いましょう」と手を振り返す。


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