今日は S/S NORWAY
小島 公平


  S/S NORWAYのキャプテンとのインタビュー。「今世界で一番大きく,そして一番美しいとされている S/S NORWAYにあこがれて,はるばる日本からやってきた17名がカリバンクルーズをキャプテンと共に出来た事をこの上もない喜びといたします。」 S/S NORWAYのキャプテン トルブジョフルン/ハウジ,TORBJORN HAUGEへのメッセージはこのように始まった。
 S/S NORWAYは,既にマイアミのせまい水路に入り,操船のきびしさはブリッジのすみずみから感じ取られ,各部所の高級士官から独語と反復の確認が叫ばれる中で,中央部の地図室との境目のボードにサンドウィチを置いて奮闘中のキャプテンとのインタビューだった。
「私は船旅を愛し,船旅をレポートして楽しんでいるものですが,私の著書の一冊をキャプテンに,もう一冊を本船のイブヤンライブラリーに寄贈したいです。そしてもしゆるされるなら二三の質問をしたいのですが。」 キャプテンは”船旅さん今日は”を開いて,シーベンチャー”を見つけ,「この船は6月までキャプテンをしていました。」キャプテンのOKを得て,二三質問してみた。

Q:「日本からやってきた我々が一様に興味を持っているであろうキャプテンのお国,年令,キャプテンになられるまでのアウトラインを聞かせていただけませんか。」
A:「ボクはノルウェー生れ,学校を出て1950年,クルーとしてノルウェーの船に乗船,1962年オフィサーとなり,4年前シーベンチャーのキャプテンになり,只今45才です。」
Q:「日本へ来られた事ありますか。」
A:「貨物船の受領の為日本に少し滞在した事があります。」
Q:「日本には客船は少いし,大きい客船がありません。QE2が日本をおとずれた時,何十万人という人達がこれを知り,沢山の人達が横浜,神戸,長崎,鹿児島へ押しかけました。 S/S NORWAYの訪日は大歓迎されること受けあいです。日本への計画はありませんか。」
A:「来年の6月までは今のコースにジャマイカを加え,既に乗客を募集しておりますので,それに三月まではほぼ満席ですので,それより先の計画はまだキャプテンの私の知るところではありません。」

 高級士官がキャプテンに指示を仰ぎに来たり,海図室ではこちらをさかんに意識している様子,とてもながくボクの質問する雰囲気ではなかった。「忙しい時に時間をさいていただきインタビューができありがとう。(併しこの言葉の裏には,はるばる日本からやって来た17名が乗船早々申込んでありながら,接岸間際ブリッジで代表2名に会うなんて少しひどいではないかという言葉がひそんでいたのに)今,ここへ来られなかった日本人グループの中で,キャプテンのサインを切望しているファンがいますのでサインを願いたい。」キャプテンは持参した2枚の色紙にサインした。「急しい時間の中でサンキュー。船旅を愛する日本人として是非S/S NORWAYが日本訪問することを望みます。」
 かくて短いキャプテンとのインタビューは終った。このインタビューの通訳はトラベルオーナーの吉沢さんが当ってくれた。実は乗船翌日チーフパーサーを通じ申込み,パーサーから何回もTELがあったが実現しなかった。前日になってやっと下船当日場所の指定があった。船が広くパーサー事務所も各所にあるので探すのに一苦労,やっと女性パーサーの案内でキャプテンの居住区へ案内された。ブリッジ右舷後方の広い一角だった。ブリッジ隣は一般通路の他二重通路になっていて,まづキャプテン執務室,事務机と若干の椅子,幹部会議も開けそう。そして次のコーナーはキャプテンの寝室兼和室,そしてその隣が応接室,勿論でかいソファーや一寸したミーティングも出来るようになっているが,花でかざられたボードの上には純白のS/S NORWAYの一米位のスケールモデルが置かれていた。どのキャビンも広く,いかにも71,202.19グロストンのキャプテンにふさわしいコーナーだった。

 S/S NORWAYはとにかく大きい客船である。全長315M,巾33M,G.T71,202.19この数字をみただけではピンとこないが,実際パブリックルームをめぐる3回廊を見た時、直線156M,後部自動ドアが開いておれば直線何と180Mにも達する由,6〜7M如に出張りや植木や椅子テーブルが出たり,出張事務所等あるにしても一望できる遠望,これでもううなってしまう。サンデッキに上って,ファンネルのでかいのにもう一度うならざるを得ぬ。これはS/S NORWAYをマイアミで始めてバスの中から遠望したのを裏付けての納得だった。このデッキにしても120Mの直線がファンネル下に連る。直ぐ前日,ロスアンゼルスの郊外でクインメリー(81,237GT)を1日かけて堪能したあとなので少しは感激が小さかったのかも知れないが,それにしても動くこの巨大な船体に乗船初日は足を棒に歩きに歩いた。船旅を沢山された方なら売店が5か所あって,バー・ラウンジが合せ11か所,エレベーターが大小合せ9,プールが内外3つ,食堂が2つ,風上食堂(ハイクラス)は天井の高い吹き抜け2デッキ使用,風下食堂も中央吹抜きは同じだが,2階も使用できる。パブリックルーム2デッキ,これだけ聞けばうなづいていただけると思う。フランスはあきらめ,ノルウェーは執念。併し,これだけのでかい客船,しかも沢山の魅力を持つ客船をどうしてフランスはあきらめ,ノルウェーはこれを再成させたのだろう。沢山の疑問やナゾが匿されていると思う。1つの試として,そのポイントを探ってみよう。

 国民性と簡単に片づけられるものだろうか。よくこまめに改装されている。大阪の速水育三先生の「写真集 世界の客船」(海文堂)の中のフランスと見比べてみるとよく分る。思い当るところも随所にあるが,殆んどこまめに手が入っていた。変った外景。S/SフランスとS/S NORWAY比べて見ると,@船首にテンダーが乗る。双胴船で細いワイヤー2本が特製グレーンで上下させているからせいぜい10トン〜20トン位の自重か。テンダーは2段デッキ,上のデッキは雨ざらし,もたれのない横木だけの腰掛けの下はジャケット格納,400名収容の由。リトル・ノルウ工ーTとU2隻積んでいる。A白黒の船体はブルーと白にぬりかえられた,ドッシリからずっとモダンになった。Bサンデッキの巾を広げ,前ファンネルから後ファンネルの横そしてうしろにボールコートを造り,広くジョッギングも出来るしシャックルボードもできる。C後部デッキはすっかり変ってしまった。各デッキ共ぐんと延びて,ここだけ見れば全く別船だ。大きく改造された船内。フィョルドデッキの回廊をつぶしキャビン新造。インターナショナルデッキの回廊の床は板張りか黒い人造大理石。プールデッキの回廊をキャビン改造。フランスのおも影。エコノミー食堂のメイン壁画はフランス時代のまま。照明や柱,テーブル,椅子は変っている。エコノミーの子供部屋の壁画,フランス号のイラストは其のまま(但し小道具は全く異っている。其の他のパブリックルームは大なり小なり手が入っている。さて,これは一体どういうことなのだろう。恐らく豪華さというイメージを大衆の客船ということにすりかえてコストダウンをし,船客に負担を少くし,楽しんでもらおう,乗ってもらおうとする努力の為の手段なのだろうか。フランスがフランス人としてフランス号を維持できなかったのは,フランス人としてのプライドが邪魔したのではないだろうか。ノルウェーはノルウェー人として自由にあやつって北欧独特の営業政策で大衆客船として軌道にのせたのではないだろうか。いくつかの現れが随所に見られる。これは考えようによっては,世界で一番船旅営業がうまい,否客船を愛し,航海を愛し,きびしく成功させている熱意の現れではなかろうか。要するに100ミリオン$をかけてパブリックルームや,余裕ヶ所を排除し,大衆客船への切りかえをしたと結論してもよいのではないか。

 更に,いくつかのこの船の特徴を拾ってみよう。 S/S NORWAYはカリブ海クルーズと銘打っているが,実際はバハマ諸島クルーズで,カリブ海はセント・トーマスから南で,カリブ航海ではない。唯ノータックスの安い買物のできる島への1週間クルーズ。アメリカでは1週間の休暇は容易らしい。主要全国の都市から又,カナダの主要都市から飛行機セットで売り出され,1日せいぜい2万円(中グレード)たとえグレードをかえても大差はない。このコストダウンは高収入高物価のアメリカでも人気があるらしい。既に来年の3月まで満席という事実が控えている。其の上片苦しい事の嫌いなアメリカ人向きで服装も一応フォーマル2日,インフォーマル2日,カジュアル3日とサゼスションはしているものの気軽にいらっしやいとガイドしている。フォーマルの夜タキシードは10%位,そしておしゃれなスーツが多い。ヤッケの多いのもアメリカ人気質というのだろうか。乗客が多ければ当然コストダウンも可能である。これは4隻で経験した実績を思い切ってS/S NORWAYにぶっつけて成功したのだろう。

 食堂をみてみよう。上半身かくれるようにでかいメニューはアメリカ人好みの大量で,アメリカ人好みにできている。おいしいものをチョッピリというのではなく,でかいお肉を大量にさしあげるという主旨である。隣のテーブルのウエーターはコーリャのイー(李)さん日く「これとこれはボクが造ったのだから是非食べてみてくれ。」五目ライスと野菜サラダだった。台所開放に出てみたら厨房は殆んど中米の黒人だった。イーさんの説明によると,西ドイツで引渡しから乗船しているコーリャは全部で150余人,既に4年間この会社の船で集団就職していて年1回帰国できる由。ひまをみつけてはボクのうしろへ来て「おいしいか」と言う。ベリーグットを言えば「おせじいらない。そんなに高い材料使っているのじゃあない。また魚食べでる,さすが日本人だ。ボクのテーブルに移らないか,ボクの造ったものサゼスションするよ。」併しこれは今の黒人ウエーターに悪いから断わった。イーさんはチョコチョコ来てはナプキン芸術を披露する。ネズミを造りとばしたり,人形・動物・かざり折り,レパートリーは15〜6ある由,それをしてみせてくれる。

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 ディナーメニューはでかいくせにナンバー付で日付がないので何10回でも使っている。ワインリストは手の平位小型である。そしてアメリカ人はヨーロッパ人のようにガブガブワインを飲まない。40を過ぎたと思われるイーさんに給料の事を尋ねる。週給で1か月約700$〜800$位だそうだ。ポストでそれぞれ違うが大差ないという。あとはチップ,これは1人1日2$,例えば黒人の担当するボクのテーブルが7人,もう1つ隣りが7人,ツーシッテイングで28人,これが月4週続けば大したものになる。併しこれはあくまでもチップで出さない人もあれば人員も少ない場合が多いという。イーさん日く「食事付き被服付きだから金は残るね。高物価のアメリカで生活出来ないが,ソウルでは充分だね。唯外国へ旅ができ収入があるというのは魅力だね。」西独,北欧,そしてアメリカでの生活の写真を沢山見せてくれる。沢山の写真の中に女性も入っている。「オオ,セックスの問題ね。」この船はこういうところで人件費の節減をこころみている。

 エンターテイメント。全アメリカ,そして全カナダ,そして各国人を集めるのだから1年契約のエンターテイナーもラスベガス,ブロードウェー,ハリウッドからのよりすぐりのショーを展開する。例えば,SEA LEGS REVUEは可成りの舞台効果をねらい,装置も複雑,ライトの面白さ,構成の多様化,巨船の歴史,そういったものの中で各国にもてるLE CAN CAN踊り,主要国の国旗の出て来るシーンの中での日の丸(ボクは大きく拍手)これは唯ものではない。パリーで見たムーランルージュ張りで複雑な踊りのポイント,すべてかと思われる位見せ場を見せてくれる。これがセクションI。セクションUは1920年代,以下10年毎にエレガント30年,ファブロ40年,ロックンロール50年,カーニバル60年,ディスコ80年,この中に人物まね,タップダンス、手品,コメディー。これは世代の違う80年間のレビューは老人から若者に至る巾広い想い出や,知っているメロディーの連続構成の1時間余は充分堪能させてくれるショー。これが同じ出しもの食事時間をずらせて4回演じられる。ボクは2回も同じものを見た。ようあきもせずとひやかされたが決してボクばかりではないようだ。或るディナーにボク達のテーブルに見なれない男が坐っている。日く,ミュージカルが生命,同じものを見る為にシッティングを変更してもらった由。このような船内人気あるショーは,ブロードウェーミュージカルやローリング20Sのフェスティバル等。又S/S NORWAYのイミテーション紙幣を使ったり,細い竹のステッキを全員にもたせたり,紙幣のシルクハット型をかむせたり,この船の呼びものと共にエンターテイメントのサービスプレゼントはアメリカ人ばかりか,我々日本人も充分楽しませてくれた。

 我慢しなければならないこと。快速船のイメージが全くない。コースのフロリダからセントトーマスまで1,035マイルある。これを延々62時間かけての航海である。或る時は巨船は停っているのではないかと思う位ゆっくりで,航跡も僅かしか残っていない。ブリッジ開放の時の速度計は11.5ノットだった。ブリッジで士官に質問したら「28ノット出ます。サービススピードは25〜26ノット出ます」と答えた。パンフレットによるとサービススピード16〜18ノット,トップスピード24ノットと記載されていた。かつてフランス時代,サービススピード30〜32ノット,最高35.22ノット。世界的省エネ時代とコストダウンのクルーズ船だから,これ位は辛棒してくれということらしい。電気系統に欠陥があるのでは。ボクのキャビン,インターナショナル1023は船首寄りで電燈が再三消えた。何回も修理に来てくれたが夜間暑くて裸でねることにした。併し後部キャビンの人達は調節しても寒くってということだった。第一次の大橋グループの次の航海はついに電気系統故障で出航翌日航海中止となった。ついでながら,この人達は次航が予約済の為全額払戻しし次期申込は半額とされたとクルーから聞かされた。繁しいライトの使いわけするテアトロの電気故障で4回中、3、4回目のレビューはカンカンショーで停電で中止となった。やはり20余年の老嬢には同情すべき事だった。この甦るフランス,1980年のNORWAYの船旅を愛する一人として安泰航海の続くことを心から願い,祝福の言葉を贈りたい。ENJOY BONVOYAGE!若し時間のある方は次もどうぞ。

 ワイン ワインリストはボクの手の平程の2枚折りのカードで細かい活字がぎっしり。ディナーのメニューが上半身匿れる程とは対照的に品弱だ。併し中身は豊富で,先づ余程のワイン飲みが来ても引受けてくれるだろう。各名柄の次に一口おすすめの言葉もついている。最初はフランスのシャンペン。シャンパニユ地方産出する発泡性ワインだけにゆるされる名称が目にしみる。第一行目がドム・ぺリニヨン75$,年数もの,日本では一万円で買えるのに16,500円(ボクは1$220円で交換した)これはちょっと高い。次がジェームズ・ボンド氏の愛用酒で007シリーズにしばしば登場するフラン・ド・フラン,年数もの,日本で8,000円で買えるのに,70$15,400円。これは大変な値段である。こういうのが7種類のっている。最低20$。次にスパークリンワイン。これにはスペイン,フランスのシャンパニユ地方以外の発泡性ワイン,イタリー,地元米国カリフォルニアが値段を下げて7$〜12$。乗船翌日始めてのディナーの時,ワインウエーターは最初だから沢山冷してあるシャンペンのハィクラスをすすめた。テーブルメイトはのまない人が多いので安いスパークリンワインにした。次が赤。最初がフランスのボルドー地方。シャトー,ラフィット,ロートシルト年数物が日本で,69年もの25,000円,これが75$(16,500円)。これは是非試飲したいと思った。恐らく日本では保存管理が悪いのですっぱくしてしまうであろう。船内ではさん味のない素直な味を伝えるであろう。併し残念ながらこのテーブルではワインを飲んで楽しもうという人がボクの他1人しかいない。この高いリストの中で唯一のサービス品も下船するまで,唯リストを眺めるだけだった。この地方6種最底8$50。次がフランスブルゴニュー。ニュイ・サン・ジョルジュ年もの,村名ワイン,日本なら社名別で,4,500〜5,000円で買えるのに45$(9,900円)この種4種最低9$。次がフランスコート・デュ・ローヌ。シャドーヌフ・デュ・バブ年もの,村名ワインで日本なら社名別で2,750円〜5,500円で買える。これは中間15$(3,300円)。次は白。赤と同じくフランスボルド地方ブルゴニュー9種類5$〜36$。イタリー,カリフォルニアにつづき,新たにドイツワイン4種を加えている。最後がローゼ。これはフランス3種,ポルトガル2種。ここで最後やっとポルトガルのおなじみが出て来る。ランサービスだ。軽い発泡性(セミ・スパークリング)ワインの傑作と定評があり,芳酵な香り,まろやかな風味,そしてプルーフも充分という高評もあり一寸見るとしもぶくれした陶器ビンに見えるが,やはりガラスビンで空ビンは部屋のアクセサリー,1輪ざしにもってこい。ローゼは茶色ビン,白は黒ビン。世界の客船でこれを積んでない船はまずない。マティウスと共に必ず顔を出している。日本では1,300円で買えるのに,そして,どの船でもたいてい3$なのに,このリストには6$(1,320円)。ワインウェイターにチップをやったら相当高いものになる。テーブルメイトの1人に「これはうまい。」と言ってもらい,また1人同好者が増えたと内心快哉を叫んだものだ。いづれにしても,このワインリストの内容は見掛けによらず,ご立派といいたい。可成りうるさいワイン党向きの雰囲気を持ったテーブルでないとはえない。この船はワインの出が少いようだ。思うにアメリカ人はヨーロッパ人のようにワイン党が少なく,飲まないようだ。

 キャプテン招待 フォーマル・サゼスションの2日は,2日共キャプテン招待だった。とにかく1,500人近い人達全部と握手する。カメラマンが記念写真をとる。キャプテンの苦労を考えるとタフでないととても務まらない。延々とインターナショナルデッキのポートサイド側回廊から中段のインターナショナルクラブに居るキャプテンとキャプテンのエスコート,キャプテン夫人,そして入口と出口に居る2人のお嬢にも,ハウ・ドゥーユードウ,この間に高級士官のスタッフ,誠ににぎやかな交換風景。そしてアウトサイドの回廊へ流れ出る当り,カクテル,シャンパン,ワインの洪水である。2回目は,離船前日のサヨナラパーティーだ。歓迎パーティーと同じシステム。勿論パブリックルームでキャプテンの挨拶があった。この時運よくボクのキャビンスチュワードが,ウェーターに立っていた。
 台所のセット場をのぞいたら,知っている中米黒人のワインスチュワード。1次の大橋さんからたのまれて写真をはるばる日本から届けた彼だ。彼が台所の指揮をとっていた。幾種類のカナッペその中にキャビアがある。この船はむらさき色のキャビア,30センチのイランの大缶をあけている。そしてホアグラ。ボクはこれを日本グループに披露したかった。はしたないとは思ったが,ワインスチュワードはOKという。其処でキャビンスチュワードにダエン盆に一杯他のものを下してこの2種だけ運んでもらった。キャビアも去ることながら,ホアグラも日本ではなかなか口にすることはできない。豚がみつけたトリユフ(キノコの1種)をとりあげる話やガン(今は鵞鳥)の口にエサをおし込んで太らせ,歩けない肥大ペイソスの話をしながら皆んなに食べていただいた。これが今回ボクが日本のグループにしてあげた唯一の行為だった。

 セント・トーマス島。西印度諸島,北西部ヴァージン諸島(米)人口約60,000(1980)火山性,主都シャーロット・アマリー。1493年コロンブスの2回目の航海のとき,セント・トーマス上陸。免税の島,1917年,デンマークからアメリカ買収。砂槽,綿,ベーラム香水,ラム酒。島の沖合に停船。後方から同じ会社のサウスワード入港。島内ツアーは島めぐりのコンチキツアーに参加した。小さい桟橋で船を待つ。桟橋と思っていたのは,実は船だった。矩型で屋根兼上屋もある。これがコンチキ号だった。桟橋が動き出したのは驚き,この船のはやし(楽隊)に又驚き,ドラム缶を輪切りにしてそれをたたく,正にドラム。音の出るもの皆手造り,それで結構音楽になっている。並んだ楽器の中の1つが操船台,これも驚き。其のスピードたるや手こぎ船の如く,日本流に訳せばプカプカドンチャカドンチャカ。岸辺をはうように,ただようように,実に楽しい回遊だった。片すみのスタンドではラムパンチ飲み放題。レッテルが欲しいと言ったらラム1本くれる。売店で珍しい黒い巻貝ととげのあるショウジョウ貝を各3$で買う。貝の首かざり,これを買って首にぶらさげたら,何でも首にぶらさげる野蛮人だとキャビンメートにひやかされる。ドラムが鳴って次はのけぞって棒くぐり,すこぶるコンチキ号はにぎやか。掛けている台から立てという。何とこれがガラスボートだったとは,海底に破船沈むをみる。無人島へ上る。水泳したい人は泳ぎ,遊びたい人は細かい貝拾い。フェニックスや名も知らぬ甘ずっぱい樹影で休息。売店一軒あり缶ビールはハイネッケン。コンチキ号はまた島を離れ漂よう。遊覧飛行艇がコンチキ号をかすめる。かくて14$のただよいの旅は終った。上陸地点はセント・トーマス島のメイン海岸通り人口40,000人(1980)さすが免税の島だけあってお酒の安いこと。NORWAYのお酒はすべてここで仕入れる由。トラック一杯買込んでいた。活気ある島。ホンダ,ヤマハのオートバイ,小型車は全く日本製,時計,カメラ言うに及ばず,唯サケだけはなかった。魚料理とビールで中食。酒屋さんの多い街,リンボー・ドラマーのラム人形ガラスビンを貰う。かくてセント・トーマスを,テンダーで離れた。

 バハマ諸島。若し,あなたがUFOに興味があったり,トライアングルに興味を持たれたら,きっとロマンチックなバハマの船旅は思うだけで楽しかろう。ここはグレートバハマとして,浅く海底に何があるか。黄金を積んだ帆船だとか。或は,消えた飛行機とか。併しNORWAYは国際規約により外国へ寄港する義務があるので,どうしても英領のバハマ諸島中に寄港せねばならぬ,選ばれた島が,LlTTLE SANSALVADOR。小さい砂の島。リトルノルウェーIとUの2隻のテンダーで上陸。浜の砂のこまかくきれいなこと。日本の昔話によれば,「この世のものと思われず。」この白いまばゆい砂,そして接岸の海の碧さ,ゴミ1つない岸にゴミと見違うのが魚,砂の上を歩いても歩いても海草1つ見当らない珍しい浜。石ころ1つ見つからず。これが無人島LlTTLE SAN SALVADORだった。ビーチパラソルが船会社のマークNCLをつけ何10本と並ぶ。砂丘のかげでバイキングが始まった。日本からやってきたヤングの裸体をみているのも楽しい。水潜器具をつけてお尻を上げてもうボクの時代は遠く過ぎ去って,この先はまばゆい。ボクは早々に本船へ引き上げた。テンダーのデッキには3人しか乗っていなかった。其の時この無人島の環礁へ小形飛行艇が着水し,みどり濃い林の中へすべっていった。
 クルー達のドリル・全ボートを下ろしてのドリル,見事なパレードを見せてくれた。PM2:00出航のNORWAYで事故発生。テンダーのリトル・ノルウェーUが左舷吊り上げ中ワイヤーが切れ落下。ついに夕食後の暗くなってもNORWAYは出航しなかった。あの細いたった2本のワイヤー吊りあげは無理だったのだ。併しケガ人なく幸だった。ついにこの無人島ヘテンダーは放置された。無人島とはいえ,この島にはもう一隻の大型ボートが動いていた。

 男の台所,すべて機械化。調理も終りもりつけ寸前の時間帯。併し見る方はつまらない。風下食堂に集合,調理場のアウトサイドを通り,風上食堂(こちらハイグレード)へ,こちらワインの見本が一目で分るようウィンドーしてある。再び調理場へ入りポートサイドを通り風下食堂へ,正に10分のルッキング。温度別の倉庫やワイン庫,野菜庫,肉のならび,珍しい食品はないか探しなど楽しみにしていたが,ガッカリルッキングたった。

 NORWAYのグロストン,改装後のトン数は気になっていたが,絵はがきにも又ブリッジにも記録されていない。やっと細目表示のデータープランを手に入れたが,GROSS TONNAGE 69,500とあった。其処でブリッジ開放の時,上級士官に尋ねたら,71,202.19GTの数字を知った。又この船のパッセンジャーの定数はキャビン945とし,1キャビン2名で計算し1,890と公表しているが,実際キャビンに入ってみるとエコノミーのキャビンは何時でも4人キャビンになるので最高限度は可成の数字になると思われる。

 チップ,中米の黒人,のっぽでガムかみ,のんびりやのキャビンスチュワード。ボクの質問に答えてワンナイト$2くれればよいとすましている。あとでサゼスションチップの社告をみたら,その通り,キャビンスチュワード クルーズ7日で$14。食堂のウェーター$14,バスボーイ,食堂の運び屋さん,ウエイターの相棒$7と出ていた。

 カジノ,1$のコインマシンがジャラジャラ出る。この使用コインはNORWAYコインとサウスワードコインの二種類使用していた。マニアにとっては記念コインだろう。スタンプアメリカの切手をはって出す郵便は,英領の島へ寄るので,パッケボーのスタンプを押してアメリカ切手をはって船内で扱っている。マニアのコレクションにもなろう。

 船内売店。長い回廊を散歩すると5か所の売店がある。免税品の酒・タバコ・香水を始め一応そろっているが高級品は少いようだ。ボールペンを買ったらメイドインジャパンだった。

 ナショナリティー 外国人へのメッセージは英,独,仏,スペイン,ノルウェー語だった。下船時外国人だけ集ってイミグレの手続きをしたが僅か50名内外だった。吾々日本人グループ17名も其の中に入っていた。クルーの大部分は中米の黒人と150余人のコーリャ,特に日本語の話せるコーリャは,食堂に1人,カジノに1人,キャビンスチュワードに1人。本国ノルウェー人は士官以外数少し感じた。

 出会った客船 フロリダの港で出会ったのは,EMERALD SEAS ツーファンネルパナマ船籍、CARNIVALE ワンファンネル,セント・トーマス港で出会ったのは,SOUTH WARD ツーファンネル,


 若干の資料
@世界一大きい船。唯それだけでも話題充分なのに「フランス」がフランスの手を離れると言う事実すら幾多の話題を生んだ。1961年ドゴール大統領のイボンヌ夫人を名付け親として進水,最高35.22ノット。乗客2,033人,66,348GT。大西洋航路の花形的存在。1974年引退,其の後サウジアラビアの実業家の手に渡ったがルアーブル港に停留のままだった。1979年ノルウェーのクヌツ・クロステル氏が買い取り「ノルウェー号」として改装工事は,西ドイツのブレーメンと定った。さてフランス人の反応はせめて改修位はフランスでと意気込んだが,一度政府の援助の手を離れた「フランス」はノルウェーの国旗をかかげて出航する現実となった。「ノルウェー」はクヌツ・クロステル氏の投入しているAMERlCAN’S FAVORlTE CARlBBEAN CRUlSESの既投入4隻に新たに加えられる事は当然だった。
A1979年秋,早くもこのニュースをキャッチした,名古屋船旅グループは1980年6月就航するNORWAYのキャビン8つをリザーブ,そして船旅マニアを集めた。この計画の進展は,葉山の遠藤さん,サンフランシスコ在住のMR.ENDOのかげの力があったればこそ実現したといっても過言ではない。これが第一次17メンバー大橋グループ(8月乗船)だった。ボクは呼びかけに参加していたがあふれ、第2次に乗船した。この記録は第2次を主とした。

 船内スケジュール,船首寄りブルー,船尾寄り赤の床のカラー分けや,各デッキはユ二ークなマークなど書き加えたら,限りないので,すべて乗船のおたのしみとして省略した。あまりに沢山あるので船内日誌は省略した。経費 第1次(8月)55万円,第2次(9月)49万円,9月は船会社のサービス期内に入った為当時一船募集があったが,約半額近くで実施できた。参加者第1次は船旅レギュラーが主で高年令,第2次はゲストが多く若いグループ,どちらも女性メンバーが多かった。


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