船とダンス

宮本功


 それは1978年のQE2による横浜−ホノルル航路の説明会が、日通航空の主催で行なわれたときのことであった。ひと通り質疑応答も終了したとき、突然1人の老人が立上がって、「皆さん!私が今回QE2に乗る理由は、外人とダンスをすること、外人と英語で話すこと、この二つです。特にダンスの出来る方はよろしく!」とあいさつされた。池袋で産婦人科を営む岩崎医師であった。その航海ではからずも岩崎ドクターと同室となった私は、そのときダンス歴は僅か2年であったが、彼と共に夜毎のダンスを楽しんだものだった。岩崎氏は現在80才を超えているが、まだ現役のドクターであり、豊島地区医師会のダンスグループの幹事として活躍されている。以来私も7回の海外船旅を重ねたが、船旅で楽しいことは、と聞かれると 「ダンスです」と答えるのである。したがって、小島公平さんのように、固定されたクイン・メアリ号を半日もかけて、なめるように見学する本当の意味での船好きではない。

 私の船歴は、1978年QE2(横浜−ホノルル)、1979年QE2(横浜−ホノルルーロサンゼルス)、1980年QE2(横浜-マニラ-香港)、1980年ロイヤル・バイキング・スカイ号(横浜-ホノルル)、1980年ノールウェイ号(カリブ海周航)、1981年シープリンセス(シンガポール-香港)、1981年ロイヤル・バイキング・シー号(横浜-ホノルル)で、この雑誌の読者諸氏と比べるとほんのかけ出しにすぎない。しかしダンスを楽しみに船旅をするという点では異色のほうであろう。
 どの船のダンスも、日中は船のプログラムとしての無料のレッスンがあり、夜は9時半から2時間のパーティがあることは共通している。

 QE2には1960年代に世界チャンピオンの王座を占めたというJohon&Betty Wertley夫妻が常駐しており、船のプログラムの無料レッスン以外に、希望者には有料レッスンを個室でやってくれる。30分15ドルであるから、日本のAクラスの先生の相場である。QE2にはウェスリー夫妻の外にも教えている人もあるようだが、これは大したものではない。船のバンドはやはりQE2は抜群である。

 日本人乗客は若い人も混っているが、外人乗客は老後を楽しむ老人が圧倒的多数である。彼等は早いテンポのラテン物は踊れないし、どんなメロディーも組んで踊り、形式的なステップに拘泥せず、メロディーを楽しんでいるというやり方である。イギリスの正続派ダンスを直輸入した訓練に鍛えられた日本人にはすこぶる物足りない。しかし正規のダンスを知らない人でも気楽に踊れる。曲はブルースかジルバー(アメリカン・スウィング)が圧倒的で、ラテン物(キュバンルンバやチャチャ)はときたま出るが、タンゴの好きな日本人は、リクエストしないとタンゴはやってくれない。ワルツもない。

 チャチャを踊る外人は非常に少ないので、簡単なステップでも外人は喜こんでくれる。翌日エレベータの中で見知らぬ外人から、昨夜のダンスはうまかった、とか、あなたはプロか、なんて話しかけられるのは、たいていチャチャや速いジルバーを踊ったときである。シープリンセスでもロイヤルバイキングでもミスタ・チャチャなんて呼ばれたものである。東京では落ちこぼれ組に属する私も船ではプロかと質問されるから、船には乗りたくなるのだ。

 カリブ海周航ではセイント・トーマス島で下船して、コンチキ号と称する遊船で島内を見物したが、コンチキ号のバンドはサンバばかりであったし、無人島に上陸したときもサンバ一色であった。

 船のダンスはステップに拘泥せずメロディーを楽めばよいと言ったが、メロディーを楽しむには身体のこなしとかステップが音楽に合うことが必要であるからやはり多少ダンスの下地はあったほうがよい。最低ブルースとジルバーを踊れると外人とも仲よくなれるわけである。ラテン物も増えてきたようであるから、ルンバ、チャチャ、サンバのベイシック・ステップが音楽に乗る程度になっておれば楽しい船旅が出来よう。

 1982年はドクター岩崎は又々QE2に乗るべく香港に伺うという。私はシドニーヘ行ってキャンベラに乗ってラバウル経由で神戸に上陸する予定。ダンス歴も満5ヶ年を超えた。期待でわくわくする今日このごろである。


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