ソング・オブ・アメリカのメキシコクルーズ 

    沼田雷介


 この夏に乗ったソング・オブ・アメリカのメキシコクルーズは、ロサンゼルスを土曜日の夕方出港して、メキシコのリゾート地、カボサンルカス、プエルトバラルタ、マサトランの3カ所を周り、再びロサンゼルスに土曜日の朝戻ってくる一週間の船旅である。夏休みは暖かい海を旅したかったので、その線に沿って、仕事や自分自身の都合から、日程を8月末に絞って国内外のクルーズ雑誌を見て見つけたのが、このクルーズだった。
 ソング・オブ・アメリカは、1982年(昭和57年)11月にバルチーラ社のフィンランド造船所で竣工した、ロイヤル・カリビアン・クルーズライン(RCCL)が運行するクルーズ船である。総屯数約37,500トン、全長214.5メートルと今でこそ6万トンから7万トンのクルーズ船がひしめく中では自立たない船ではあるが、私が学生だったあの頃「随分大きくて斬新な船ができたものだ」と注目していた船だった。ともかくロサンゼルスの時差は東京より16時間遅れなので、家を土曜日に出ても十分間に合い、帰りも日曜日に帰れるため時間の問題もない。それにチェックイン前にクィーンメリーを訪れることもできる。そんなことから、このクルーズに決めた。




ライフボートドリルと横着な乗客たち
 8月29日、土曜日。カルフォルニアらしい青空が広がり、初めて会うソング・オブ・アメリカが眩しく美しく見えた。それにしてもずらっと広がるコンテナ埠頭といい、海軍基地といい、ロサンゼルスの港はなんて広大なのだろうと思う。
 いったんスーツケースをポーターに預けて、クィーンメリーに立ち寄ったので、外見はきれいだが、中は空っぽの客船夕ーミナル、バース91で、3時過ぎにチェックインを行う。すでに12時半から乗船手続きが始まっているせいか、チェックインカウンターに来る乗客もまばらである。客が来なくて暇を持て余していたカメラマンに、いつもの船旅のように「WELCOME ABOARD」の看板の脇に立って写真を撮ってもらい、船内に入る。キャビンはあらかじめパンフレットで見て、しつこい程確認しているので、迷うことはない。
 私のキャビンはキャバレーデッキ左舷にある5044、角窓のアウトサイドの部屋。一見して狭い。引出しも少ない。私はツインのキャビンを独り占めにしているからいいが、二人だったらかなり窮屈に感じるだろう。が、それもその内に気にならなくなった。
 ベランダカフェで軽食をとって、キャビンに戻って間もなく、「4時半より避難訓練を行います。乗客の皆さんは全員至急指定された番号のボードデッキに集合して下さい」と若い女性スタッフの声で何回かアナウンスがあった。面倒臭いので、ボートドリルをサボッて荷物をほどくことにした。そんなわけで船内放送をずっと聞き流していたら、突然キャビンにボリュームー杯にサイレンと共に「キャビンに残っている乗客の皆さん、至急ボートデッキの指定された場所に集合しなさい!」という太い男の声が響き渡った。仕方がないのでライフジャケットを持ってボートデッキヘ向かうと、面倒臭そうにライフジャケットを首にかけた横着な乗客たち(人のことは言えないが)に階段で続々出喰わした。
 女性、子供が前に並び、男は後ろ。そのボートドリルで気付いたのだが、乗客はお年寄りから私のような若い人まで各年齢層、平均的に乗っている。半数近くが若い人達で占められていると思っていただけに意外な気がした。もちろん圧倒的にカップルが多い。同じボートのグループの中で一人で来ているのは、私ともう一人50過ぎのおばさんだけだった。点呼を取った時、「By myself」という声が変に響いて恥ずかしかったなあ。
 船は5時に岸壁を難れた。見送りも音楽もない味気ない出港だったが、ベランダカフェで、ウェディングドレスとまっ白なタキシードを着たハネムーナーとその家族が盛大にはしゃぎ回り、出港を盛り上げる。私はボードデッキ後部のスポーツデッキでサンペドロの町並みや、ロサンゼルス港の風景を楽しむ。殺風景な景色だが、過激な北米航路のゴールがこの港であり、間近に珍しいアメリカの軍艦が見られるので、私には興味深かった。アメリカらしいクルージングボートが途中まで併走してくれ、出港に色を添えてくれた。サンデッキでは黒人のバンドが陽気な音楽を演奏している。スチュワードも愉快な黒人。「サービス、サービス」と言いながら、ピンク系統のトロピカルドリンクをトレイに何個ものせて売り歩いている。楽しそうな光景につられて、つい飲んでしまう。ロサンゼルスの夕方は涼しく、ひんやりしているのだ。




シングルズパーティ
 7時45分からガイズ&ドールズラウンジでのシングルズパーティに参加した。照れ臭さもあったが、女性なり男なり遊び友達を作っておこうという作戦だった。どこに座ろうか迷ってウロウロしていたら、スタッフの一人に招かれて、ホイットニーヒューストンに一見似ている背の高い黒人女性のいるテーブルに案内された。私と同年代といった感じだが、年は聞かなかった。ロサンゼルスで弁護士事務所の秘書をしているジューンという女性だった。このパーティにはお年寄りから若い男女まで30名近く参加していた。私のタイプの女性もいて、(ちなみに筆者は29才、独身である)椅子取りゲームのような歯の浮く遊びを通じて知り合う機会もあったが、ジューンと音楽の話やスポーツの話がそれなりにはずみ、どういうわけか彼女に気にいられたようなので、そのまま同じ席に落ち着いてしまった。これが彼女にとって初めてのクルーズとあっては、船旅慣れした者としてはよけいに気を遣ってしまう。そんなことから、夜のダンスやディスコの時に会おうと約束して別れた。

初めてのディナーとテーブルのメンバー
 私はセカンドシッティングなので、ディナーは8時30分から。乗船証に指定された50番テーブルのメンバーは5人家族と、カップル一組、それに私の8名という構成だった。5人家族のメンバーは、コンピュータ会社を経営する御主人のリチャードさんと奥さんのジュディさん。年齢は40代なかば位だが、美男美女だった20代の頃の面影をそのまま残した人達である。それにお世辞ではなくハンサムな男の子3人は、大学生のエリック君、高校生のカーク君とグレッグ君である。一見していかにも厳格そうな家族で、最初はそれだけで場違いな所に座ったなと焦ったのに、彼らがミネアポリスから来たと間いて、アメリカのどこにあるのか分からなくて、なおさら慌ててしまった。カップルの方はロサンゼルスに住むドマシン夫妻で、御主人のアルさんはシルベスタースターローンをデブにした感じの35〜40歳位の人で、私と同業の証券会社に勤める。奥さんのペリーさんはほっそりした人で、アルさんよりもどう見ても10歳は年上という感じだった。
 しかし食事が進むにつれ次第に緊張もほぐれ、打ち解けてきた。地元のプロ野球話など、ローカルな話題について行けないこともあったが、そんな時でも彼らは常に私を話の中に巻き込んでくれるのがうれしかった。
 食事はオードブルからデザートまでそれぞれ4種類以上からチョイスできた。食後の飲物の欄に、カフェイン抜きのコーヒーというのがあり、アメリカらしさを感じた。
 10時45分からカンカンラウンジでショーが始まる。RCCLのクルーズを紹介するミュージカルも楽しかったが、クルーズディレクター,デットウエラー氏の司会は最高である。客の乗せ方はうまいし、笑わせてくれるし、ハンサムだし、こんなクルーズディレクターに今まで出会ったことがない。このショーの乗りで、8割以上がカリフォルニア州の人達で占められているのがわかった。
 スクナーズバーではバーボンアンドソーダを注文し、黒人のおじさん、ウォーターさんが奏でるピアノの傍らに座って、大好きな曲「スターダスト」をリクエストした。大人のしやれたムードに酔い、キャビンに戻る。

にぎやかで楽しいサンデッキ
 8月30日、日曜日。8時半に目が覚め、ボートデッキでジョギングをする。青い海が広がり、暖かい爽やかな風が吹く。ジョギングや散歩をする人たちと行き交い、誰からともなく笑顔で「グッドモーニング」の挨拶をする。気持ち良い。こんな気分は本当に久し振りだ。
 朝食は7時から11時まで、好きな時に食べられるセルフサービスのベランダカフェでとる。心地良い潮風に吹かれ、青い海を眺めながら食べる食事は最高である。
 この日は一日中洋上なので、全身にサン夕一ンを塗りたくり、サンデッキのデッキチェアで昼寝をする。プールが二つ並ぶサンデッキは乗客で賑わい、楽しいムードであふれている。11時からオクラホマラウンジでダンスレッスンがあったが忘れてしまった。それよりも愉快な黒人のバンドの陽気な音楽に耳を傾けながら、デッキチェアで寝そべっている方が楽しい。ベランダカフェでハンバーガーとデザートで簡単な昼食をとり、また午後もデッキチェアで昼寝と読書。サンデッキ前方でにぎやか競馬が行われていたが、眠かったので見る気になれない。体が熱くなったらプールサイドでたわむれたり、コンパステッキでボーッと海を眺めたりする。左舷にはメキシコの山脈がくっきり見える。そうここは日本から遠く難れたカリフォルニアの海なのだ。なんて最高の気分なんだろう。
 3時からメインデッキでスキートシューティング、4時からはオクラホマラウンジで大好きなビンゴに参加する。賞金の額が大きいジャクポットビンゴも含めて6回で20ドル。ただし乗船証を提示し、料金は下船後に銀行引き落としとなる。ビンゴのカードは、一回につき3枚ついているので当たりそうな気がするが、これがまったくダメ。梅しい。
 夕方、人に自慢したくなったので、コンパステッキのテーブルで絵はがきを書く。潮風が心地良い。こんなことをしながら水平線に沈んで行く夕日を眺めていると、のんびりとした船旅の贅沢さを感じ、うれしくなる。


情けないフォーマルナイト
 7時45分からのキャプテン主催のパーティは黒のタキシードで決めた。先に行われたファーストシッティングの人達はタキシードが少なかったので、目立つだろうなと思ったら、セカンドシッティグでは、どういうわけか男性の4割以上がタキシードである。しかも、白のタキシードを着ている人たちが多いのには驚いた。
 カンカンラウンジの入り口で、ノルウェイ人のアンドリィアッセン船長に簡単な挨拶をし、会場に入る。人があまりにも多いので、知っている人たちが見つからない。家族連れやカップルが圧倒的に多く、身内で固まって座っているので、こんな時は一人で乗っていると困る。どうにか二十代後半と思われるきれいな女性二人組のテーブルに落ち着く。カリフォルニアの何とかいう町から来たアンと、サンフランシスコに住むタナという子たちだった。音楽とまわりがザワザワしていて、大きな声を出さないと話が伝わらないというハンディもあるが、美人で落着いているので、自分としては珍しくあがってしまい、せっかくタキシードで決めているのに、気のきいた会話ができない。逆に彼女たちが気を遺ってくれた。本当に情けなかった。
 ところで、キャプテンの話によると、このクルーズはちょうど500回目の航海で、千四百数十名の乗客が乗っているという。定員の100%以上の集客率だ。いくら料金が安いとはいえ、最近のアメリカといえば不況と貧困の暗いニュースばかりなのにすごい。白のタキシードといい、この集客率といいアメリカの底知れぬパワーを感じた。
 夕食はフレンチディナー。リチャードさんもタキシードで決めていた。いい雰囲気なので、皆で白のワインを注文する。オードブルにはエスカルゴがチョイスできた。食事は全体にやや塩辛い気がする。ただ、ケーキはおいしい。コーヒーもうまい。サービスは最高。これと楽しいテーブル仲間が集まれば、味なんか少し位まずくても気にならない。
 食後、ボーゲンさん一家とカンカンラウンジで、芸能人の物真似ショーと、鎖を使うアクロバットの二本立てのショーを観る。ルイ・アームストロングやフランク・シナトラなど古めの物真似しかできないおじさんの役者に、会場からMC・ハマーやマイケル・ジャクソンのリクエストが飛び交ったのがおかしかった。
 ジューンが見つかったので、オクラホマラウンジヘダンスとディスコをしに行く。タイプの女性ではないが、一人でボーッと人が踊っているのを見ているよりはずっとマシである。それに彼女のおかげで、外人の女性をダンスフロアに誘う自信がついたのだから、それだけで感謝しなければならない。


ペリカンが飛ぶ寄港地、カボサンルカス
 8月31日、月曜日。朝から日差しが暑い。カボサンルカスへ着くのは正午なので、船内はどことなくのんびりしている。サンデッキも相変わらずにぎやかだ。昨日調子に乗ってお腹を焼きすぎてヒリヒリ痛いため、日向ぼっこができないのが残念。
 船は予定通り正午にカボサンルカスに投錨した。沖から見たカボサンルカスはハゲ山が広がり、海はエメラルドグリーンがかった青。感激するほどの美しい風景ではない。
 私は1時間半のグラスボート付の周遊ツアーに申し込んでいたので、ジューンと合流し、テンダーボートで陸へ上がる。テンダーボートから見たソング・オブ・アメリカは、大きく美しく頼もしく感じた。岸壁からグラスボートに乗り移る。岸壁にはガムやみやげものを売っている子供や大人の物売りが乗客に付きまとう。もちろん何も買わない。面白いことに、ここにはカモメではなく黒いペリカンがたくさん群れをなしていて、吊り上げられたカジキマグロの回りをウロウロしていた。グラスボートから覗く海底にはそう多くの魚を見れたわけではないが、きれいな海と奇妙な岩がマッチしていてそれなりに美しい光景だった。野性のアザラシがいたのには感激した。
 その後バンに乗って、サボテンの生える丘を昇る。見晴らしのいい所から、美しい砂浜を見下ろす。沖にソング・オブ・アメリカが泊まっているが見えてなかなかの絶景だった。
 テンダーボートで再び船に戻り、サンデッキのデッキチェアでたわむれる。プールの水が適度に暖かく気持ち良い。やはり船の上は落ち着く。いつものように黒人バンドが陽気な音楽を演奏する。楽しげな音楽に黒人スチュワードがお盆を持ったまま踊りだし、乗客も一緒になって踊り出した。楽しいな。アメリカ人はこんな事を遊びにしてしまうのだ。アフタヌーシティーの時間にアイスクリームとアイスティー、それにサンドイッチを食べる。ずっとデッキにいたのでビンゴはパス。船は5時半にアンカーを揚げ、動き出した。
 この日の食事はオリエンタルディナー。服装はカジュアルである。メインディシュには照り焼きが出ていた。デザートが出て来る頃に必ずショーをやり、わがテーブルスチュワード、エマュニエルも参加する。この日は中国の国慶節で、チャイナ風の行進があった。バンドも入り、なかなか和やかな空気の中、見せてくれる。誕生日は一日何組かあり、毎日ハッピーバースデーの歌があちこちで聞こえた。

ゲラゲラ笑った夜のショー
 カンカンラウンジでショーをボーゲンさん一家とドマシン夫妻と観る。デットウエラー氏の司会で、カップルの参加するゲームだった。ゲラゲラ笑ったのが、夫が誰か他の女性を会場から連れて来て、奥さんとその女性の間に入り、両方の女性にキスをしながらフォークダンスで回るゲーム。次々と男だけ前に進み、キスする女性を変えていく。その早いテンポと男性と女性の表情が最高におかしかった。男性に引っ張られて出てくる女性も、まったく嫌がったりしないから笑ってしまう。
 11時半にオクラホマラウンジでジューンと50年代、60年代のロックンロールディスコに参加する。ここでもツイストコンテストと18歳以下の子が参加するエルビス・プレスリーの物真似コンテストに、息ができなくなるほど笑う。さすがは本場だけあって踊りもうまく、ユーモラスである。会場の拍手の多さで競う応援合戦が過激で、エルビスのコンテストでは、最後は高校生の男の子がおばさん達のキス攻めにあって押し倒されてしまう。このアメリカ人の乗りにキャビンに戻っても笑いが止まらなかった。

プエルトバラルタのきれいなホテル
 9月1日、火曜日。朝9時半、船はプエルトバラルタの岸壁に接岸した。港には先にコモドア・クルーズのエンチャンテッド・アイスルが接岸していた。元ムーア・マコーマックラインのアルゼンチン、いや、ホランドアメリカラインのピーンダムといった方が有名だろう。彼女の姿は一昨年、ニューヨークでハイウェイから、ブルックリンのドックに入っているのを見たことがある。1958年の建造だが、美しい船はいつまでたっても美しい。
 私の申し込んだオプショナルツアーは午後からなので、午前中は船の案内所で教えてもらったクリスタルホテルへ行く。外は日差しで肌が焦げるのではないかと思うほど暑い。カボサンルカスと違ってプエルトバラルタは一応町らしい。道路が一直線に伸び、ボロボロの乗合バスが印象的だった。町を一言で言えばホコリっぽい。
 クリスタルホテルはデコボコの道を10分ほど歩いた所にあった。リゾート滞在型の見本のようなホテルで、中はホコリっぽい町とは別世界だ。このホテルの大きなしゃれたプールでのんびりとくつろぐ。プールもビーチチェアもタダである。信じられなかった。心地良いメキシコの音楽が流れ、バーが傍らにある。船とはまた違うリッチな気分を味わう。パラセイリングをやったら、上空から我がソング・オブ・アメリカとエンチャンテッド・アイスルが一望できた。最高の気分をたっぷり味わって、たったの30ドル。トクした気分になって船に戻る。
 午後1時からシティツアーに参加する。バスの中でヒューストンから来た趙さんと知り合った。眼鏡をかけた小柄な人で年齢は40代始め位。17年前に台湾から移民してきたという。クルーズはこれが初めてで奥さんと一緒に乗っている。このクルーズが楽しくて仕方がないのか「この船の食事は、ヒューストンの最高級のレストランよりおいしい」とか「同じテーブルの人が何回もクルーズ船に乗ったが、この船がべストだと言っていた」とかベタ誉めである。そんな話を聞くと、こちらまで楽しくなる。町は石造りの家が多く、二階建ての家がズラッと並んでいる。海岸は砂浜が特に美しいという程でもなく、どことなく南伊豆の景色に似ていたので、写真を撮る気にならなかった。
 エンチャンテッド・アイスルが先に出港し、6時に私たちの船が岸壁を離れる。沈む夕日をバックに、アルさんとスポーツデッキでバスケットをする。気持ち良かった。この日の夕食はメキシコ料理。テーブルにはタコスが並ぴ、デザートが出る頃にはメキシコ音楽の演奏が始まった。毎日楽しませてくれる。
 食後は乗客参加のカンカンラウンジで仮装行列と続くが、ハイライトは11時からサンデッキ,プールサイドのスターライトダンス。黒人バンドの陽気な演奏で、潮風に吹かれてワイワイと大勢でダンスやディスコに深夜まで大騒ぎする。ジューン、それにタナとアンも参加して楽しい一時だった。


メキシコらしい観光地マサトラン
 9月2日、水曜日。モーニングコールで目を覚ますと、すでにマサトランの岸壁に着いていた。よく晴れている。暑い。この日もエンチャンテッド・アイスルと一緒だった。
 午前中はシティツアーに参加する。また趙さんと一緒になった。マサトランはきれいな海岸がずっと続き、海沿いの建物の色も明るいので、メキシコの海に来たんだなと実感が湧く。ツアーはよくガイドブックに載っている高台から海に飛び込む青年や、町一番の繁華街を回り、最後はみやげ物屋に寄る。ポンチョや民芸品など、値段は通りの屋台で買うよりも良心的だった。そこでメキシカンショーを観た。熱海の旅館でのトロピカルショーを観るのとあまり変わらない気がしたが、本場メキシコで、メキシコのショーを観ないのも何だか物足りないので満足した。
 午後は初めてダイニングルームでフリーシッティングの昼食をとった。どうも外で食べるよりも、船の食事が待ち遠しい。多少午後の時間が押しても船の食事は欠かしたくない。メキシコ料理を中心にケーキなどそれなりの物が出た。やはりデッキランチよりもおいしいし、品数も違う。好きな物を盛った皿をちゃんとスチュワードがテーブルヘ運んでくれた。
 ともかく午後は、岸壁のゲートから水着、Tシャツ姿でオープンカーのタクシーに乗って、船の案内所で教えてもらったエルシドホテルへ向かう。エルシドホテルも高級リゾートホテルだ。大きなしゃれたプールの向こうは真っ青な海が広がっている。ソング・オブ・アメリカの顔見知りの乗客が何人かいて、声をかけてくれる。ここでもパラセイリングをやった。一回20ドルだからお買い得、最高だった。海がきれいだとこうも壮観なのか、これでしばらくはパラセイリングをやらなくても気が治まりそうだ。波にたわむれても水が青いし景色がいいので楽しい。
 出港の90分前に船に戻り、サンデッキでデッキチェアやプールサイドでたわむれながらおしゃべりに興じる。だんだんと親しい人たちが増えてきた、ロサンゼルスに住み、海軍に勤めるお父さんと一緒に乗っているチャーミングな高校生キャサリンと中学生の弟マイク。47歳の美人なおばさんマリンダさんとサンディエゴの造船所に勤める御主人のボブさん。サミー・ディビス・ジュニアに似た35歳の黒人トニー等、他にも楽しい人たちばかり。船はエンチャンテッド・アイルスより先に、5時に出港。

騒々しい大人のゲーム
 イタリア料理の夕食の後、10時半からカンカンラウンジで、デットウェラー氏の司会で「騒々しい大人の集団ゲーム」が開かれた。デーリープログラムにも「過激でこの船旅で最も忘れられないイベント」と書いてある通り、ゲラゲラ笑える最高に楽しいゲームだった。5人で一組つくり、デットウエラー氏が指定した物をスタッフまで持って来て、チェックを受ける。できるだけ多くの物を持って来たグループが優勝というゲームである。
 40組ほどグループができ、私もその中の一組に入れてもらった。最初はルームキーや靴ひもなど誰でも持って来られる物が指定されるが、その内「ブラジャー2つ」という指名が出たりする。でも本当にはずして持ってくるグループが何組もいるから笑ってしまう。最後は「男のズボン」という指名があり、マイク・タイソン風の男が何のためらいもなく、スタッフの前に来てズボンを脱ぎ、デットウェラー氏に渡したのには、会場は大爆笑だった。負けじと後から、意地になって何人もパンツのままズボンを持って来たのには笑いが止まらなかった。これだからアメリカ人は好きだ。


9月3日、木曜日。快晴、船旅日和
 この日は洋上なのでサンデッキのデッキチェアで本を読みながら一日中ウトウトする。風がやや涼しくなってきたが、相変わらずサンデッキはにぎやかだ。おもしろい馬の出走する競馬や、プールサイドのゲームに参加して賞品をもらったり、楽しい一日である。
 この日はフォーマルのギャラナイトなので、タキシードを着る。ダイニングルームには紙テープや風船で飾りつけがしてあり、アルさんが上等な赤ワインを皆にごちそうしてくれたりして華やぐ。
 皆で腹話術の退屈なショーを親た後、ジューンとオクラホマラウンジでダンスをしたり、アン、タナとスクナーズバーで軽く飲んだり、シングルズパーティで会ったニューヨークの女性弁護士アニーやメリーとギャラナイトビュッフェで食事をしたりと、社交的な一夜を過ごす。



ビンゴ!
 9月4日、金曜日。朝から空は晴れ上がっているものの、冷たい風が吹き、一気に秋の気配を感じる。サンデッキには人影もまばらで、この日は黒人バンドの演奏もない。
 10時からメインデッキ後部でスキートシューティングをやり、五発の内一発だけ当たったので、この分だとビンゴでも当たるかもしれないと思って、カンカンラウンジへ行く。ジャックポットを含めて20ドル6回分フルに買う。3回目の時だった。あと一つ。「O−72」それ「BlNGO!」ついに当たった!「フワッツ・ユア・ネイム」「ライ」「ホェア・ユ・フロム?ロサンゼルス?」「ノー.フロム・トーキョー」「トーキョー!フロム・スッチ・ア・ロング・ディスタンス!」最高だった。記念のボールペンをもらい、キャッシュで215ドルを受け取った。せっかくの大勢の前で目立つチャンスだったので、おおげさに喜んでみせた。私にとっては、船で初めて賞金を獲得した記念すべきビンゴである。それからすっかり有名になって、どこへ行っても知らない人が「コングラッチュレーション」と声をかけてくれた。
 もう最後の一日なのでパッキングもしなければならず、おみやげを買ったり船内の写真を撮ったりでパニックとなり、旅慣れているとはいえ、つくづく自分は日本人だと思う。

楽しいパッセンジャータレントショー
 5時からカンカンラウンジでアンとタナとパッセンジャータレントショーを観る。のど自慢があったり、詩吟をやったり、親子でコーラスをしたり、大学生4人組のコメディがあったり、男を魅惑する色っぽいインドの踊り、ナジを30代初め位の女性が踊ったりで、会場から和やかな笑いがわきおこる。職業も銀行相手の経営コンサルタントから、孫の面倒を見るのが仕事のおばあさんまで様々である。司会のデットウェラー氏の合図で会場から一斉に、何とか部門で「ユー・アー・ファーストプライス!」と叫ぶ。特技を持っていても、そうでなくても人前に出てためらいもなく演じてしまうのが楽しい。

最後の夕食とフェアウェルショー
 最後の夜なので、カジュアルの日だが、少しおしゃれをして白のジャケットとアルマー二の渋めのネクタイで決める。ダイニングルームに少し遅れて行ったら、すでに皆揃っていた。たった一週間のクルーズなので、連絡先を聞かないで別れるつもりだったのに、リチャードさんから「あとで君の連絡先を教えてくれないか」と言われた。うれしかったので「東京に来た時は、いつでも歓迎しますよ」と言うと、リチャードさんは「日本は遠いし、いつ行けるかわからないから…」と言うので、「大丈夫、たとえ10年後でも20年後でも忘れないですよ」とアメリカ的におおげさに言うと、ジュディさんが感激していた。そんなことからドマシン夫妻も交え、私たちのテーブルは感慨深い空気に包まれた。最初は緊張したものの、実に楽しく素晴らしい人たちだった。食事中いろいろな話題が出て、生のアメリカを知ることができるので、いつも夕食が楽しみだった。
 メインスチュワードのエマニュエル、サブスチュワード、ワインスチュワードのアントニオ、それにキャビンスチュワードのクリスに基準より少し多めのチップをお年王袋に入れて渡す。サービスが抜群だったので、強要されるチップと違い、今回は気持ちが良かった。
 食後は皆でカンカンラウンジのショーヘ向かう。フェアウェルショーはクルーズスタッフのミュージカルである。明るく華やかでとても楽しい。途中乗客がダンスフロアに飛び出して司会者にキスをするなど、最後までアメリカ人には笑わせてもらった。クライマックスの最後は、スタッフ全員が集まり乗客皆で手をつないで「蛍の光」を合唱して終わった。リチャードさんたちと朝食に必ず行くことを約束して別れる。
 最後の夜くらい徹夜で騒きたかったが、オクラホマラウンジやディスコをやっているガィズ&ドールズラウンジには残念ながら、ジューンや顔見知りの姿が見当たらなかった。そんな事から、深夜1時までスクーナーズバーでウォーターおじさんに「トゥナイト」や「アンフォゲッタブル」など好きな曲をリクエストし、おじさんやおばさんたちと時々しやべりながらマルガリータを飲み続けた。これはこれで大人っぽい落ち着いたムードで、最後の船旅らしくて良かった。
 キャビンに戻ると、いつになく船が波を切る音が心地良く間こえた。


プリーズド・ミーティング・ユー
 モーニング・コールで6時に目を覚まし、この船旅で初めてベランダカフェヘモー二ングコーヒーを飲みに行った。朝もやのデッキでトニーや趙さん、親しくなった人たちと会い、別れ際に「プリーズド・ミーティング・ユー」の挨拶を笑顔で交わし、握手した。デッキのあちこちで「プリーズド・ミーティング・ユー」の声が聞こえた。出港する時は物珍しく感じたサンペドロの港も私にとっては外国の港なのに、いやに殺風景に感じた。
 外国人の私は朝食の前に税関の申告手続きをしなければならなかった。アメリカに住む他国籍の人も含まれているといえ、オクラホマ・ラウンジにはファーストシッティングの人だけで60人は集まっていた。この中で、乗船当日にわざわざ遠い外国から飛んで来て、下船するその日の内に、観光もせずに帰国し、翌日から職場に戻るクレイジーな外人は私だけなのは間違いない。
 最後の朝食は、初めて全員揃った。この50番テーブルは本当になごやかで、仲の良いテーブルだった。もちろん帰ったら毎年彼らにクリスマスカードを送るつもりだ。
 船内放送が入ったので、先に席を立ち、別れを言わなければならなかった。笑顔のさわやかな「グッバイ」だったが、何となく感慨深かった。残念ながら、ジューン、それにアンとタナには会えず、別れの挨拶を言えなかった。別れの挨拶を言いたい人がまだたくさんいた。船旅の最後はいつもこんなものだ。ギャングウェイを降りる時、アメリカ人にしては珍しく、泣いている女の子がいたのが、妙に新鮮に感じた。一週間のクルーズは、それ自体完結したドラマなんだなと思った。

「さよなら、ソング・オプ・アメリカ!」一週間の楽しかった船旅は終わった。

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