ポートピア81と名古屋オリンピック

「船旅さん今日は」著者 小島公平


 名古屋に「ふあんねる」(船のエントツ)という名をつけた若者の船旅グループがある。名古屋勤めでありながら不思議と名古事市内の在住者は一人もなく、常滑、東海、桑名、瀬戸に住み、事、船旅に関したら目の色を変えるメンバーである。料金のかさむ外国船に乗ることを楽しみの第一義とし、その上小遣を出し合い船旅記を書いて「ふあんねる」という小冊子を無料配布している。たまたま或る日この「ふあんねる」グループに引っぱり出されて名古屋港から関西汽船のクルーザー”さんふらわあ7”(7,511トンの外航客船)でポートピア81の見学にでかけることになった。

 真っ赤な太陽が昇った。早朝ポート・アイランド港に接岸。この島は15年の歳月と、5300億円をかけて六甲山系の裾をけずり埋立てて造ったという。海上の街造り。住宅高層建築、高速道路とポートライナー、病院を始めとする公共施設等々、所謂ニュータウン。広さは一口にいって甲子園球場の120倍。そしてこの島の意義、海上都市を広く世にアピールする目的でポートピア81を二年半の準備で開催の運びにしたそうだ。 既に名古屋からも沢山の人達がこの会場をおとづれ、海の文化都市のテーマや、海、未来、宇宙等数々のパビリオン、そして幾多の国際的催しもの、パンダを迎え、日米サーカスを加え、幾多の機材を入れたピアランドを造りその新しさと巨大さに驚かされた事でしょう。かつてエキスポ70の国際的大催事を成功させた関西人が規模縮小とはいえまたまた成功に導いた。開場一番のつもりで入ったのに見渡す限り人の波、さて一日駆けめぐって行列と人息に唯々驚くばかり、一日平均5〜7万人の予定と聞いていたがこの日、日曜日とあって何と15万人だったとか。会期中の入場者1300万人は軽く突破、営業収入も230億円は間違いないと主催者の鼻息は荒く、各パビリオンは各企業もちで始まったこのソロバン。関西人の性根、神戸っ子の意気込みにびっくりする。

 さて、これより先の前日”さんふらわあ7”は茜色に染った夕日の美観を跳めつつ、名古屋港の旧中央ふ頭を改造したばかりのガーデンふ頭を離れる。世界の大きい港を沢山みているボクにとって神戸港と名古屋港の上下は甚しい。見渡したところターミナルビルも未完成、離れゆく風景の中に高層ビルもなく、停泊船も少い。稲永から金城ふ頭にかけて唯目にとまるのは半ドームの広大な国際展示場一つ、淋しい埋立地である。名古屋こそ展示場を中心に巨大架橋をし、港の東西に高速道路を通し、快速地下鉄を延長し、ニュータウンつまり総合病院、学校、図書館、高層住宅建築等の青写真を進めたのに、かつて名古屋の街造りは道路造りによって日本中の見本のようだどいわれた時もあったのに、いったいこれを誰がとめてしまったのだろうか。人の住まない土地程街造りは容易ではなかったのか。一つは高潮7mといわれた伊勢湾台風に驚かされたのか。今一つは何でも反対する力におされてしまった政治のひずみか、更に一つは名古屋生まれ名古屋育ちの政治、経済、文化人が少いせいか、或は桧舞台は開放している度量の御仁だからか。カーフェリーのターミナルに集った巨大フェリーも何時の間にかその影を消して全く活気のない港となってしまった。最近、名古屋港で国際会議がもたれたとも聞く。併しこの現状では主催者のいさみ足のようにもとれるし、また努力家の港を愛するレジスタンスともとれる。そして今大勢は港とは関係のない7年後の名古屋オリンピック開催に動きつつある。発想は単なる政治家の思いつきか、盛り上る市民の声か、それはさておき、世界のオリンピック観はどうみても派手で政治的国家的色彩がこくアマチュアスポーツの祭典から離れる傾向にあり、「アテネに帰れ」の声もおこりつつある。名古屋は縮小予算1100億円で挑戦を試み論争の渦中である。

 ひらがなの街なごや。「なごやヘきてちょう、うみゃあもんがたんとあるでなも。かしわ、とりなべ、すきやき、どてみそ、煮込みうどん、きしめん、ういろう、どうぞいりゃあせ」神戸はカタカナの街である。カタカナとは和製語と各国語の集りでこれが変じて国際都市のイメージが生まれてきていると自称している。街中どこを仰いでもカタカナの文字。それが意味の掴めないもの、全く分らないもの、子供でも、大人でも、そして現代っ子のはずの若者も、この分らないカタカナの街の中で動いている。

 ポートピア81を成功させた神戸。オリンピックに挑戦しようと努力している名古屋、さてこの両者の姿は-----これは名古屋人と神戸っ子の相違で、他面ローカルのおもしろさだと思う。どちらを選ぶか、それは各人各様、人それぞれ、最終的には名古屋人のお国柄がにぢみ出てきめるこどだろう。それに名古屋には”ふあんねる”グループのように通い族から単身赴任のナゴチョン族、その他幾種類ものパートナーがいる。名古屋はこのようなパートナーによる共同経営を運命づけられているのだろう。


(中部財界1981年8月15日号)


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