有村産業運行休止
2008/5/31

名港西大橋をとおり名古屋港を後にする
クルーズフェリー飛龍21(5/31)

経営難の有村産業は、会社更生計画も纏まらず、会社を清算する方針に決まった。 飛龍は5月28日、飛龍21は6月5日の那覇新港入港を最後に運航を休止することになり、名古屋港では、5月31日の飛龍21の出港を最後に運行休止になった。



5月31日の名古屋港は、いつもと変わらぬ荷役風景が見られました。 船首からは自走の乗用車やトレーラーが、船尾からはフォークリフトでコンテナが積み込まれて行きました。 車のほとんどは無人車で、ナンバーのない中古車も多い。有人車は3台、バイクが2台乗り込むのが見えました。 同好の諸氏が数人、最後の航海に軽装で乗り込んでいきました。





今回、運行休止が決まったクルーズフェリー飛龍は1995年、クルーズフェリー飛龍21は1996年の就航です。クルーズフェリー飛龍には、処女航海の際名古屋〜大阪に乗船しました。就航時は、名古屋を夕方に出て大阪に早朝に入港していたので、名古屋〜大阪を区間乗船するには、都合の良いスケジュールでした。処女航海の時には、レストランで歌謡ショーのイベントもありました。

処女航海以降も何度か乗船しましたが、ラウンジやサロン、バーなどの公室が充実していて、常にどこかの公室がオープンしていました。 木甲板にジャクジーと、クルーズフェリーの名前に恥じない設備でした。 私の知人は、デッキでバーベキューも経験しています。

クルーズフェリー飛龍は、すべて個室で画期的でしたが、個人客には必ずしも使いやすくなかったかもしれません。
客室の清掃は乗組員自身でおこなっていたようですが、清掃が十分でなかったことがありました。あの部屋数では大仕事だったかもしれません。

飛龍と飛龍21には、色々な思い出があります。

ある時には、社交ダンスの団体さんが乗船して船内のホールで踊っていました。 そんな使われ方もしていました。
ホールで、ビンゴもやってくれました。 船内の自動販売機で、オリオンビールを買い漁った知人もいました。

スケジュールが変わって今のダイヤになった時、名古屋入港が遅れ、大阪入港も遅れて深夜になった事がありました。 その時は、大阪出港まで船内に居させてもらい、始発のニュートラムで大阪南港を後にした思い出もあります。


2008年5月31日午前11時15分、クルーズフェリー飛龍21は、名古屋港の岸壁を離れました。また、名古屋港に戻って来られるでしょうか?


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